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10 の人生における重要な瞬間 柴田勝家

日本
別名: 権六, 修理亮
誕生: 1522 (尾張国愛知郡)
年齢:61(死去 1583-06-14)

柴田勝家は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。織田信長の重臣として知られ、鬼柴田の異名で恐れられた猛将。信長死後は羽柴秀吉と対立し、賤ヶ岳の戦いで敗死した。

1557-08

織田信勝を排する

信長の弟・信勝の謀反の鎮圧に関わり、後に信勝を清洲城で謀殺する実行役を務めた。

35

政治

1560

家督を継ぐ

織田氏の家臣として、いくつかの武功を立てる中で重要な地位を確立。

38

軍事

1570-07-30

姉川の戦いに参加

織田信長・徳川家康連合軍と浅井長政・朝倉義景連合軍との戦いで、信長方として活躍。

48

軍事

1573-08

越前朝倉氏を滅ぼす

朝倉義景を滅ぼした後、越前国八郡の守護代に任命され、北ノ庄城を築城。

51

軍事

1575-06-28

長篠の戦いに参加

織田・徳川連合軍と武田勝頼軍の戦いに参加し、武田軍に勝利。

53

軍事

1577-09

手取川の戦いで敗北

上杉謙信との戦い(手取川の戦い)で大敗を喫する。

55

軍事

1582-01-01

お市の方と再婚

織田信長の妹であるお市の方と再婚する。

60

私生活

1582-07-29

清洲会議での対立

織田信長の後継者問題で羽柴秀吉と対立し、信長の三男である信孝を推す。

60

政治

1583-05-02

賤ヶ岳の戦い

羽柴秀吉との天下分け目の戦い「賤ヶ岳の戦い」で大敗し、北ノ庄城に籠城。

61

軍事

1583-06-14

自害して果てる

北ノ庄城落城に際し、お市の方とともに自害して果てた。

61

軍事

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